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パート1では、特定の表現活動に縛る必要はない、という話をしました。
・これは、表現活動をどういった目的で行うか、によってその必要性の有無が分かれます。
例えば、「クリエイティブな分野で名を残したい」という人、そこで「仕事」として、収入源としての意味合いを持たせたい、という方の場合、この著者のいうように創作活動を「一つのこと」に絞る必要性
それは、創造力は筋トレのようなもので、体を健康にするためには脚トレ、胸トレ、背中と、満遍なく様々な部位を鍛える必要があるように、創造力も一つに絞ることはせず、自分がしたいと思った表現活動には幅広く触手を伸ばし色々実践してみるということが大事である、という意味です。
その一方で、この本にはこのようにも書かれています。
「どれほどの創造欲をもっていようとも、幅広いことに手を出してみるのが役に立つのは、何に焦点をあてるべきかを探っているときだけだ(中略)─それ(何に焦点をあてるべきか)は作品を作っていくうちに、少しづつわかってくるものだ。自分が正しい方向に向かっていると直感で思ったら、徹底してそれに焦点をあてること」
筋トレでいうなら、ある程度満遍なく全ての部位を鍛えたうえで求める体系に選択肢が生まれてきます。自分がどうなりたいか体を大きくして「バルクアップ」させたいか、それとも体脂肪を極限まで絞り大会に出るか、山本理論か、横川理論どっちに基づいて鍛えるか?健康になりたいから鍛えるのか?大会で優勝するため、世界で活躍するため、健康より栄光を優先したトレーニングにするか?同じマッチョでも目指す体型、方向性によってその先にすることは変わってきます。
種類に限らず、創作活動という名の筋トレを継続することはとても大事です
そうしていくことで、いずれ自分の方向性が
ちなみにこぼれ話ですが、よくテレビを見ていると「マルチタレント」という方がいますが、この言葉はいわゆる和製英語。要するに日本と比べると、マルチタレントに該当する人というのは海外ではそこまで多くはないといわれています。
大体は「俳優」、「コメディアン」、「作曲家」という風に肩書きが決まっている人が多い。
著者の「最終的に焦点は一つに決めるべきだ」という考えにはこういった文化的背景があるのかもしれません。
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